鹿ヶ谷山瑞光院

由緒沿革

瑞光院縁起

ご本尊お前立
ご本尊お前立

瑞光院は、昭和29年11月28日、初代住職の川合壽明和尚が、高野山別格本山南院に安置されています秘仏浪切不動明王の御分霊を、鹿ヶ谷山徳善谷の地に勧請して祭祀創建されました霊場です。

この地は、京都東山三十六峰如意ヶ嶽の支峰・大文字山の中腹に位置し、山中より涌出した清浄なるせせらぎが滝となって落ち、当山のあたりは古くから多くの行者達が集う行場でありました。

また、当山より少し山を登ると、かつて平安時代後期の真言僧、俊寛僧都の山荘があって、そこで平家打倒の密議が行われたと言われています。古くから歴史に刻まれた由緒ある土地柄であります。

滝行場と不動尊
滝行場と不動尊

浪切不動明王

弘法大師が唐(中国)の地にあらせられたとき、密教の師である恵果和尚より霊材をたまわり不動明王立像を彫刻。和尚に請い開眼加持されました。
やがて大師は帰朝の途につきますが、暴風のため乗っていた船が難破の危機にさらされました。そこでこの尊像に祈念したところ、不動尊は浪を切るように宝剣をふるわれ、荒浪は鎮まりその災厄からのがれることができました。

その後においても、天慶の乱では平将門を滅ぼしたのち宝剣を尾張熱田神宮にとどめ置いて東国の鎮護とされ、弘安の役では九州筑前国志賀の島に請して敵前に護摩を修され、元寇退散ののちは火焔形を彼の地にのこされて異国来襲の守護とされました。
爾来、建武の中興、明治維新をはじめ内乱・外寇・請雨等の多くの祈願等においてその霊験を挙げるにいとまがありません。

不動尊は、大日如来の教令輪身として、密教の修法中もっともひろく崇拝されるばかりか、通俗にひろく信仰されること他に類を見ません。
堅固不動浄菩提心の尊でありますから、行者の所願成就はもとより、忿怒の尊・給使の明王として、少雨長雨・災害・悪毒等を除き、怨敵兵賊を降伏し、財富を得るなど、広い効能功徳が多くの経典儀軌に説かれています。
またこの尊は、常に汗や脂にまみれて我々と労苦を共にされ、全身に火焔を吹き出して罪障災厄を焼き尽くしてくださいます。未来浄土にたくす仏ではなく、現世焦土からの救済の尊です。
殊に浪切不動尊は、私達の心中の迷妄を切り払い、身近に襲いかかる魔障災厄の浪風を切り拓いてくださる霊尊です。 その霊験御利益は今日なお日々あらわされ誠にあらたかであります。

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高野山真言宗
浪切不動明王
鹿ケ谷山(ししがたにさん) 瑞 光 院(ずい こう いん)
〒606-8441 京都市左京区鹿ケ谷徳善谷町4-41
振替口座 : 00970-6-164202 「瑞光院」
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